同窓会だより
洛友会会報 210号


26年会上高地旅行記 後編

    バスの中では幹事が用意した京都大学の歌(百周年記念のCD)による京都大学学歌の演習です。昭和15年紀元2600年記念、当時日本音楽界の重鎮、下総?一作曲、曲は荘重、素晴らしい歌ですが殆ど歌われないのが残念です。
一番の歌詞
九重に 花ぞ匂える
千年の 都にありて
その土を 朝踏みしめ
その空を 夕仰げば
青雲は 極み遥かに
我らの 眼を向かへ
照る日は 光りたださし
  我らの 眼に写る
  (二番略)
  CDは全員に配布済み、これから集まったときには是非歌いたいものです。
  2時前に新穂高ホテルに到着、これからがラッキーです。2時15分発のロープウェイに乗れました。
    ロープウェイは標高1117mの新穂高温泉駅から1305mの鍋平高原駅までの第1ロープウェイと標高2156mの西穂高口駅(本邦最高)までの第2ロープウェイ(2階建て120人乗り)の2つがあります。第2ロープの西穂高口駅(千石園地)は西穂高岳の登山口、西穂山荘(標高2385m)は目と鼻の先です。駅を出れば周辺は残雪、皆残雪の感触を楽しみました。
  屋上展望台に出ました。これが又素晴らしい。南方の乗鞍から西方笠ケ岳、北東、西穂高まで北アルプス360度の大パノラマです。残念ながら「槍」だけが見えませんでした。2時間前までは見えたそうですが、そう百点満点とは行きません。兎に角この感激は雪のため乗鞍へ行けなかったから味わえたのです。この時期3日間とも「日本晴れ」は無いものねだりでしょうから。
  雄大な北アルプスを背景の記念写真、本当に得がたい記念になりました。
  ロープウェイを下りて直ぐ、ホテル穂高にチェックイン、此処は露天風呂もある素晴らしい温泉です。部屋に露天風呂があるスィートルームに当たった幸せな組もありました。
宴会場(和室)が又良い。実は幹事の手違いで「老人ばかりだから食事は立食」と言うことでホテルにしたのだが、ホテル側に通じていなかった。しかし奥様方は「みんなの顔が見えるこのほうが良い」と好評。会は盛り上がります。8時になって二次会場に席を移しました。旧制高校記念館に行った記念に「寮歌祭をやろう」と地下のカラオケルームを貸切り、用意した各校寮歌の歌詞カード持参で集まった。部屋は暗い。「自分の寮歌ぐらい歌詞カードなしで歌え」と言ってもそうも行かず、懐中電灯で歌詞カードを照らして歌う組、全部暗記で踊りまわる組、10高校歌っても限りがありません。「奥様方もどうぞ」と言ったら「皆の知ってる歌、シューベルトの野ばら」の声、「ドイツ語でやろう」
  歌詞カードなしで歌えました。素晴らしいフィナーレでした。
3日目
  乗鞍は通行止めは解除になりません。昨夜の疲れもあり、「ゆっくりしよう」と9時出発。昼食前の約1時間は高山の「朝市」と古い町並み散策、又は「陣屋見学」の組に分かれました。 朝市は宮川に沿った道路、古い町並みにも一杯出ています。「飛騨の匠」の工芸品から、名物・漬物などなど。陣屋とは郡代役所です。ここは高山城主金森氏の下屋敷の一つでしたが、後に徳川幕府の直轄地になり、江戸から代官や郡代が来て此処に役所を置き飛騨の政治をとりました。郡代役所が残っているのは高山だけだそうです。 陣屋脇の駐車場へ11時半集合。高山グリーンホテルに移動します。田舎にしては中々のホテル、旅行「最後の晩餐」ならぬ「中餐」に話は弾みます。
  12時半、高山西IC経由東海北陸道に乗り、最後の目的地、御母衣ダム湖畔の荘川桜へ向かいました。荘川ICを下りて15分、御母衣ダム湖畔広場があります。昭和30年頃、御母衣ダム建設に当たって湖底に沈む筈だった、樹齢400年の桜の大木2本、「これを移植できないか」地元の人の願いでした。当時電発総裁高碕達之助氏の熱意により実現しました。
  この不可能の事業をやってのけた職人の話、先ごろNHKのプロジェクト]で紹介されました。荘川桜は天然記念物に指定されています。お互い電気工学の出身、先人の偉業を偲びながらこの桜を見ました。花が咲いていたらもっと素晴らしかったでしょう。樹齢450年、何れは枯れるでしょう。広場には「荘川桜二世」が植えられ、大分大きくなっています。
  荘川桜を出て荘川ICに向かって約10分、「荘川の里」に着きました。此処から約30q富山寄りに、世界遺産の「白川郷」が有ります。荘川村と白川村は元は一つの村でした。合掌造りはどちらにもあります。白川郷はその集落として世界遺産に登録されました。幹事の見込み違いで、此処の見学には最低30分は必要。予定の新幹線に乗れなくなる恐れがある。外から見るだけにして「説明はガイドさんがバスの中で」、トイレ休憩をIC前のバス停にしました。ここで笹岡夫妻は高山の親戚訪問の為お別れ(事実上の旅行終了)です。荘川ICを出て東海北陸道に入ります。バスは新緑の奥飛騨から美濃に向かって快適に飛ばします。郡上踊りで有名な郡上八幡を過ぎた頃から不覚!幹事は居眠り、気がついたらバスは大きな川を渡っています。木曽川は「各務ヶ原を過ぎて」と「羽島の手前」と2回渡ります。「途中美濃辺りでトイレ休憩の筈」と思っていたら、もう羽島でした。皆さんからトイレ休憩の要求も無く。「皆さんお疲れのようだ」。とガイドさんの配慮でトイレ休憩を省略、予定より20分早くJR羽島駅に3時40分到着しました。しかしこれからまだ関東・関西へ帰らなければなりません。2泊3日、遠出の二六年会。お疲れ様でした。
  参加者は「8夫婦+8名」です。この内、5年前カナダ旅行に参加した人は「5夫婦+3人」(3人欠けました)です。「カナダ旅行の過密スケヂュールでもやれた」と過信した幹事の計画でしたが、5年の加齢です。天候の悪戯、乗鞍山頂を省略してもまだ「キツカッた」でしょうか?最初は「上高地へ行こう」だけでした。しかし「これが最後かもしれない」と欲張った結果、素晴らしい景色が楽しめました。それにおまけが、「くたびれもうけ」でした。幹事の不手際深くお詫び申し上げます。

石川 進(昭26年卒)記



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