教室だより(2)
洛友会会報 217号


電気系教室を去るにあたって

中村行宏(推薦会員)


 今年の3月31日まで、10年7ケ月に渡って電気系教室に勤めさせて頂きました。この間、諸先輩、諸先生方はじめ教室の皆様には多大なるご指導、ご支援を頂きましたことに心より感謝申し上げます。NTT研究所に勤務していた平成6年頃、田丸啓吉先生よりお声をかけて頂きました。私は数理工学科において学部、修士課程と椹木義一先生の下で統計的制御理論の研究に取組みましたので、当時、システム総合研究所の理事長をされていた椹木先生に相談に伺いました。先生は「電気教室から言うてもろうたか。それは光栄なことやな。ぜひお受けしなさい。」と喜んで下さいました。木村磐根先生、田丸先生にNTT本社まで割愛願いにおいで頂いて、平成8年9月、27年間勤めたNTTを退職し、京都大学に着任致しました。こうして、学生として学んだ母校で、教官として教育・研究に携わることになりました。退任にあたり、これまでの学び、研究・教育について心に残っていることの一部を述べさせて頂きます。

1.学生として
 私を研究に導いて下さった、恩師椹木先生が講義や指導の合間に言われた言葉に、(1)「最適制御理論は、出発点から目標に向かって最適なパスがあると教えている。しかし、そのパスからズレたからといって決してがっかりすることはない。そのズレた地点から、目標に向かってまた最適なパスが存在するからである。」というものです。仕事や人生の最適パスからずれたとき、この恩師の言葉を思い出し頑張ったものです。もうひとつご披露しますと、皆様よくご存知のように、非線形特性を持った対象を最適制御するのは大変難しいのですが、椹木先生は、(2)「非線形は難しい、しかし奥が深く面白い。そして非線形の最たるものが人間である。だから人間が一番面白い。」と言って下さいました。どんな反応を示すか分からない難しい上司にも少なからず出会いましたが、恩師のこの言葉を思い出して発想を変えて対処することができました。

2.NTT研究所において
 昭和44年に電電公社の電気通信研究所に入社して、当時の超巨大企業、現在で言えば、インテルとマイクロソフトを合わせたより強大であったと思われるIBMに対抗して国産技術で世界一のコンピュータを研究開発するというDIPSプロジェクトに配属されました。日本電気、日立、富士通という日本を代表する計算機メーカとの共同研究でした。私は、主として、仮想記憶方式ならびにキャッシュメモリ方式採用の観点からCPUの論理仕様に取組みました。当初希望した通信衛星の姿勢制御の担当にはなれなかったのですが、その後のわが国の計算機産業を支える多くの技術者を育てたDIPSを担当できたことは、私にとって大きな転機であり、今では、わが国の大型計算機の創成期の一翼を担ったのだと自負しています。
 DIPSの設計経験より、ハードウェアも部品の接続記述により設計するのではなく、設計者がまず考える並列動作アルゴリズムのプログラミングにより可能とすべきであると考え、@動作記述言語SFL、Aその論理シミュレータ、BSFLからの論理回路自動合成機能、を三位一体として有するCADシステム「PARTHENON(パルテノン)」を昭和60年に完成させました。これを用いて32ビットRISCプロセッサFDDP (Four-Day-Designed-Processor)を設計し、動作記述からのプロセッサ全体の自動論理合成による試作に世界で最初に成功しました。平成4年に青梅佐藤財団の支援によりパルテノン研究会を設立し、以後毎年、研究会、設計講習会、ASICデザインコンテストを開催しています。パルテノンは、全国の大学、高専で800システムが使用され、その研究・教育に大きな貢献をしています。この実績によってパルテノン研究会は、平成13年、特許庁から特許法第30条に基づく指定学術団体の認定を受け、また平成16年には特定非営利活動法人(NPO)として承認されました。
 昭和56年、SFL/PARTHENONの研究計画書を策定し、研究の必要性を訴えましたが、その審議において、研究所長から出た質問の一部をご披露します。最近はこういう発想、厳しさはなくなりつつあるので、若い皆さんに伝え、足下を見詰めなおして頂く意味はあると思います。
(1)君の説明を聞いていると非常に優れた設計支援技術と思うが、それなら、製造工場を持っていないNTT研究所の君ではなく、NECなどメーカの研究者こそ思い付きそうなものなのに、何故、そうならないのか。
というものです。そんなことはメーカに訊いてくれと言いたいところですが、皆さんなら何と答えられるでしょうか。もうひとつ、
(2)君が主張するとおりの非常に大切な研究開発であると認めたとして、この3000名の研究者がいる大研究所の中で、君が担当するのが最適である理由はなにか。
というものです。これも実に難しい質問ですが、この背景にあるのは、実に日本の美学と言ってもよいと思われませんか。自分を無にして、組織のためにどうするのがよいか、真剣に考えてみろということです。結果的に、この研究開発には10年以上に渡って取組まさせて頂き、社長表彰(発明考案部門総代)、大河内記念技術賞、科学技術庁長官賞、電子情報通信学会業績賞などを受賞する成果を生み出すことができました。

3.京都大学において
 京都大学では、集積システム講座情報回路方式研究室を担当させて頂きました。この研究室は、「(1)プロセッサの高並列処理アーキテクチャ/方式構成、(2)その方式設計技術、を表裏一体の実現対象として研究・開発に取組んでいる。何故、この二つが表裏一体かと言うと、如何に優れたアーキテクチャであってもハードウェアとソフトウェアの統合体(システム)として設計でき、製造できなければ絵に描いた餅であるからである。優れた設計力、設計文化を身につけることは、将来の電子システムを先導する研究者・技術者にとって必須である。」と訴えましたが、この意気に感じて志望してくれた学生諸君は、理論にも実践にも大変頑張る若者たちであり、私には、基本的に、NTT研究所の研究員に対するのと同じ接し方が可能でした。逆に、気が利かない点などは、学生だからと甘やかさないで叱りつけましたが、中村研究室の家風になりました。また、東京工業大学梶谷研究室より泉知論助手(現立命館大学准教授)、大阪大学白川研究室より尾上孝雄助教授(現大阪大学教授)、そしてその後任として広島市立大学より越智裕之助教授(現准教授)に来てもらい、また、課程博士一期生の筒井弘君(現大阪大学特任助教)には特任助手として私を支えてもらいました。
 私は、高位設計技術をテーマとし、成果をPARTHENONという論理合成ツールに結び付けましたが、若い先生方や学生たちは、各種通信情報システムの構成法により興味を示し、そのために設計ツールを活用したいという意欲を示しましたので、それを応援しました。みんなで21世紀を担うICT高度化の核となる先進的なシステム構成技術、応用技術の実現に向け、以下のテーマを取上げ研究を進めました。
(1)リコンフィギュラブルシステム: ハードウェア機能を書き換え可能な回路で実現することにより柔軟性と高速性の両立を狙う技術です。これを担当しているM2廣本正之君が情報処理学会より「DAシンポジウム2006優秀発表学生賞」を受賞し、またその応用の一つとして、機能書き換えにより様々な通信方式に対応する「ソフトウェア無線」について企業との共同研究に取組みました。
(2)画像処理システム:高圧縮率と通信環境や端末の性能などに柔軟に対応できるスケーラビリティーを持つ画像符号化方式JPEG2000は、映像分野のキラーアプリケーションと期待されているデジタルシネマの圧縮方式としても採用されているが、これについて企業との共同研究により、6400万画素、ノンタイリングの超高解像度に対応する符復号化回路を世界に先駆け開発/発表しました。この成果は画像処理LSIとして製品化されるに至っています。また、これを担当している筒井弘特任助手が電子通信情報学会平成17年度学術奨励賞を受賞しました。
 さらに、計算機による画像認識技術を取上げ、車載やロボティクスへの応用を狙った画像認識アルゴリズムおよび専用プロセッサの研究開発に取組みました。 核となる技術である、ステレオマッチング、トラッキング、セグメンテーションなどについて先導的手法を開発し、3件の特許出願を行いました。
(3)立体音響処理システム:頭部伝達関数モデルをもとに、音声の遅延・回折等をディジタル信号処理によって再現し、低い演算量と高い臨場感を両立させる立体音響処理方式の研究に取組み、通常の2chステレオヘッドフォンにより、左右、上下、前後奥行きをリアルに感じさせる先導的三次元音場環境の実現に成功しました。
 このような研究と並行に、システム設計のできる若者をもっと育てないと我が国はもたないとの危機感と、また親の脛かじりをしないで博士課程に進学できるよう支援するため、大阪大学白川功教授(当時)に協力して(株)シンセシスの設立に参画しました。阪大4名、京大1名(私)の教授とその研究室によるシステムLSIの開発・設計を行う産学連携ベンチャーです。大学教員が技術指導し、大学院生が開発・設計の実務を担当します。現在では、大阪大学・京都大学・奈良先端科学技術大学院大学・兵庫県立大学・立命館大学の8研究グループとその関連研究室の教員、大学院生、卒業生が参画し、大きな成果を上げています。
 研究については以上のとおりですが、次に講義について述べます。学部3年生に向けた「計算機システム」を担当致しましたが、これは光栄にも長尾真先生から引継がせて頂いたものです。また、修士課程向けに、田丸先生から引継がせて頂いた「集積システム設計論」を担当し、後に、「応用集積システム」を立ち上げました。これらについても学生たちの反応に様々な思い出がありますが割愛し、この機会に現在の私が最もお伝えしたいことを述べさせて頂きます。
 大学院の私の講義のひとつに、「電気電子工学基盤技術展望」があります。これは、平成16年から開講されたもので、電気・電子・情報工学を専門としない学生にも配慮して、オムニバス形式で複数の教官がそれぞれの専門分野の内容を分かり易く講義するというものです。私は「システムオンチップ(SOC) 技術」を担当しました。その講義の中で、専門技術だけでなく、日本の精神文化に関する内容について、例えば、以下のように訴えました。
 近江聖人と称えられた中江藤樹が33歳のときに著した「翁問答」の中で、「人が、金持ちを大切にするのは自分に恩恵があるからであり、妻や愛人を寵愛するのは自分の性欲を満足させるためであり、子を愛するのは自分の分身であるからにすぎない。しかし、そもそもこの身がなければ、お金も愛人も子も無用のものとなる。すべてはこの身あっての楽しみであり、この身を生んでくれた父母の恩なくしては現在の何ものもない。したがって、まず父母を敬愛することからはじめ、その関係を妻、兄弟、友人へと広げていくことを孝と云い、そうすることが自然の摂理にしたがうことになるのである 。」と説いています。
 また吉田松陰が30才で処刑される前日、江戸小伝馬町の牢内において一日で書きあげた、弟子たちへ宛てた全文約五千字の遺書 「留魂録」には、彼の短い人生を四季に例えた見事な死生観を諄諄と教え諭す言葉が述べられています。この冒頭に記されたのが、「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂」という有名な辞世の歌です。そして肉親へ宛てた遺書の冒頭にこれも有名な辞世の歌「親思ふこころにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん」を記していますが、自分の死の知らせを悲しむ親への思いに溢れています。
 それから、広島、長崎に原爆を落とされた敗戦から半年後の昭和21年正月の歌会始における昭和天皇のお歌、「ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松そをゝしき人もかくあれ」にも触れました。廃墟となった国土から立上がってほしい、頑張ってほしいとの日本国民への深いこころが伝わってきます。そして天皇は、翌年昭和22年2月から足掛け9年をかけて全行程3万3千kmに及ぶ全国ご巡幸をされる訳です。国民を励ますためですが、諸外国は、警備も手薄なこの時期に何と馬鹿なことをする、暗殺されても不思議ではないと高みの見物をしていたそうですが、赤旗を振っていた組合員まで陛下を見ると万歳を叫んだと伝わっています。戦争に敗れ、外国の軍隊に占領されている国の君主が、戦前と同じように、国民から尊敬され、心が通じ合っているこの状況は、過去の歴史からも、世界の常識からも到底考えられないことであり、正に奇跡だったのです。その後の歴史をみてもこのような例は皆無です。当時、ヒットラーは自殺し、ムッソリーニは民衆に虐殺され、イタリア国王は国外追放され、敗戦国でないベルギー国王も対独協力したということで王位を降りたという世界の情勢であったときです。
 道元の歌、「聞くままにまた心なき身にしあれば おのれなりけり軒の玉水」には正に小我を取り去り、対象と一体化した心のあり方が述べられていますが、このような心境で研究に没頭したいものです。
 岡潔先生より「人の知・情・意を向上するとは、情は浄化、自我の濁りをとることであり、知は顕現、働きを表し出すようにすることであり、意志は霊化、すなわち、生きようとする盲目的意志が常に善の方向を示すようになることである」と教わりました。更に、「このうち根本的なものは意志の霊化であって、これに恐ろしく長い時間がかかる。典型的な日本人は代々の実践によって意志霊化が非常によくできており、そのときその場における善の方向が直ちにわかる。こういう人たちを中核としなければ、光は闇と戦えないのである。」と学びました。
 以上述べたような先人の他にも、緒方洪庵、伊藤仁斎、貝原益軒、石田梅岩など、日本には、人としてのあり方・筋道を学べる誇るべき先輩がたくさんおられます。日本人のみんなが、このような祖先の存在を知り、彼らのことばに一度でも接していれば、この国のあり方は変るのではないか、ここまで精神が荒廃することはないはずと思うのです。日常生活の中で、これら我々の宝ものをなぜ親から子へ、教師から生徒に教え、伝えないのか、と講義しました。
 このような内容に対し、他専攻の学生を含め、教授室ヘの訪問、メールなどによる多くの反応を得ました。私のどの講義より反響が大きかったです。賛否両論ありましたが、留学生を含め、確かに人として大事なことを教えて頂いた、気付かせて頂いた、と言ってくれる内容が多く、私が感動しました。
 昨今のテレビなどみても、祖先への尊敬も日本人としての誇りも持たない売国奴のような連中が声高に公共放送を使って馬鹿なことを言っています。子どもたちに、我々の祖先にいかに尊敬すべき人々がおられたのか、人として何を大切にしようとしてきた国民なのか、何が我々の背骨なのか、事実を正しく教えなければならないと思うものです。
 4月1日からは立命館大学総合理工学研究機構教授として教職を継続するとともに、7月1日から、池田克夫先生の後任として京都高度技術研究所の所長・研究開発本部長を務めています。
 最後になりましたが、洛友会の一層のご発展をお祈りするとともに、私を支えて頂いた研究室のスタッフ、学生の皆様に心より御礼申し上げます。


  ページ上部に戻る
217号目次に戻る
 



洛友会ホームページ