洛友会九州支部の思い出
洛友会会報 200号


洛友会九州支部の思い出

上田 保之(昭27年卒)

 洛友会が昨年11月創立50周年を迎えました事を心からお祝い申し上げます。記録によりますと、九州支部の創立総会は翌年の10月26日に開催されておりますので、九州支部も今年は50周年を迎えることとなります。
 洛友会の初代の会長鳥養利三郎先生は昭和27年から28年にかけ、関西・中国・四国・九州地区のロータリー・クラブのガバナーに就任しておられました。この間しばしば九州にお出かけになる機会も多かったようです。ロータリー日本五十年史によりますと、昭和27年11月15日の地区年次大会および昭和28年2月22日の近隣都市一般討論会が九州電力の本店が入居しておりました福岡市の電気ビルで開催され、先生はガバナーとしての重責を果たされております。その際、先生を囲んで福岡在住の同窓生との昼食会が開催されました。2月22日は九州支部結成の前でしたが、私も参加する機会を得ました。洛友会創立の直後でもあり、先生からは九州支部の設立の要請と同窓会のあり方について卒業年度、職歴などに関係なく会員全員が一つ心で会の運営にあたり、人格の陶冶に当たって欲しいとのお話があり、今でも良く記憶しております。先生のお話はロータリーで言うクラブ奉仕や職業奉仕の考え方と同じではないでしょうか。ロータリークラブは2005年2月には創立100周年を迎えることになります。洛友会もますます発展し、21世紀に卒業された方々が中心となって、盛大な100周年を迎えられることを期待しております。
 私は平成元年から8年までの7年間6代目の支部長を務めさせて頂きました。九州支部総会時の運営方法として、鳥養先生のお話の趣旨に沿いたいと考え、誰とでも遠慮なく自由に会話が出来るように、会食前にカクテルパーティーを開催することにし、特定の会員からの話題の提供もして戴きました。この方式は定着し、今も好評を得ております。
 大正14年の卒業生が大阪で毎月14日に集まって昼食会を開いていたとの3代目の宮田秀介支部長のお話が機縁となって九州支部でも、初回は何時であったかは詳らかでありませんが、京都から先生がおいでになったときなど、折に触れ昼食会を開催しておりました。私が支部長の時、眞栄城朝章幹事(昭和38年卒)と協議のうえ、昼食会を定例化し、会員の方々が早くから予定に入れ易く、遠隔地の方も来福時にご参加いただけるよう、特定月の第4水曜日に同一場所で開催する事としました。この昼食会は現在も継続しており、毎回思いがけない話題も飛び出して、親睦を深めております。
 大正14年と15年の卒業生の同窓会は後年14日会となり、毎年全国各地で盛大に開催されておりました。昭和38年には九州の別府・阿蘇・雲仙で4日間開催された時には、九州電力の宮田常務取締役が幹事役で親身になってお世話しておられました。ご指示もあり、私も後輩としてお世話させて頂きましたが、電力、電機業界などで活躍しておられた方々のお話から多くの事を学びました。最新の洛友会名簿では、14日会の会員で住居の明らかな方はお一人になったようです。
 私の支部長最後の年度に、加藤勝彦幹事(昭和41年卒)のご尽力により、九州支部の活性化に関するアンケートを実施し、50名近い方々から回答を戴きました。その際のご意見、ご要望には、@懇親旅行(1泊)をやってはどうか Aゴルフや登山など屋外の趣味の会、囲碁や麻雀など屋内の趣味の会を年1回してはどうか B電気工学科以外の学科の卒業生との合同の同窓合を開催したら Cあれもこれもと行事を多くせず充実したイベントを希望する。 D福岡以外で見学会を兼ねて昼食会を実施したら E昼食会は勤務の都合もあり土曜日を希望する。 Fインターネットを活用して情報交換をしては などが有りました。これらはその後の九州支部の運用に活かされております。
 九州支部発足時の支部会員数は80名程度であったと言われており、その後漸増し、平成になりましてから三桁になったと思いますが、現在は数年前から115名程度に留まっております。21世紀の外交や経済がアジアに軸足を置いた政策に転換せざるを得なくなれば、九州が日本の玄関口になるでしょう。洛友会会員の九州での比重が高くなればと期待しています。
 この原稿を作成中の2月24日に、九州支部初期に幹事、評議員として活躍され、支部の発展に貢献された昭和11年ご卒業の加来誠一郎先輩が九十歳の天寿を全うされたとの訃報に接しました。ご葬儀には九州支部を代表して参列し、ご冥福を心からお祈りいたしました。

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