北海道支部の50年
洛友会会報 200号


北海道支部の50年

支部長 芝山 龍一(昭28年卒)

1.支部設立当時の思い出
 昭和29年8月3日、加藤信義先生が札幌に見えて,北海道支部設立のお勧めがあった。
 同年10月10日、北海道支部設立総会には、大塚徳雄(大6)小田部毅(大7)片山辰雄(大7)橋本篤四郎(昭2)副島敏夫(昭13)生田努(昭14)森田英男(昭17)池内義則(昭21)坂入吉彦(昭28)芝山龍一(昭28)の10名が出席して発足した。
 初めての総会は,橋本氏から和やかにやろうとの提案支援により、札幌市内から離れ石狩川河口の「扇屋」へ,此処で北海道の秋の味覚「石狩鍋」を味わいながら盛り上がったところで、会則,役員を決め、初代支部長には大塚徳雄氏に就任していただいた。
 翌年の春には、支笏湖へ遠路のドライブ。当時、自家用車の無かった中で副島氏が車を工面されたので、多数の家族も加わり総員25名に達した。今振り返ると、この時が最多数の集まりであった。こうして会員相互の協力により親睦を深めつつスタート出来た。
 上記10名の他に山上孝(大14)俣野麻太郎(大14)師尾守泰(昭17)等を含め当初の会員合計は17名であった。
 50年を経て、北海道支部会員として現存するのは、池内,芝山の2名のみとなった。

2.歴代の支部長
初代:昭29〜31、大塚徳雄(大6)。発足時最年長、高校長に在任中、初代としてご尽力。副支部長として橋本篤四郎(昭30死去)。    
2代目:昭31〜42、小田部毅(大7)。北海道配電工事(株)社長を勤められ、支部長として 10年以上の長きに亘ってご尽力。
3代目:昭42〜52、山上孝(大14)。室蘭工業大学教授として活動されるようになってからは、池内がサポート。東京へ転居されるまで支部長。
4代目:昭52〜平14、池内義則(昭21)。洛友会30年史に書かれた「ギャップを埋めること」の通り、農学と工学との学際分野を専門とされた北海道大学教授。25年の長期間に亘り支部長を務めて頂き、感謝の心を込めて特記しておく。
5代目:平14から現在に至る。芝山龍一(昭28)。発足時から庶務を担当。50年の内、地方勤務の約10年余を除いた期間、支部の幹事の仕事に携わった。  

3.支部活動の推移
 支部発足から洛友会30周年までの間では、支部総会の集まりは15回、平均して約2年に1回、開催してきたが、その後の14年間の昨年までは15回、即ち1年に1回の割合で開いてきた。
 昨今は毎年ゴールデンウイーク明けの開催が定着してきた。少人数につき、大きい1テーブルを囲んで、半世紀以上もの年代差を越える今昔の話を味わいながらの歓談が楽しみ。
 これまで京都から来道された機会に、支部会員と懇談頂いた実績が3回あった。昭50年代に津田孝夫先生、林宗明先生が夫々大学の特別講義の機会に。平成4年には別件(クラス会)で来道の大谷泰之会長と同行の藤田茂夫先生をお迎えしてお話を承り、懇談できたことは特に印象に残る会合であった。これからも何か別用で京都から来道の節は、ご一報下さるようお願いします。直ぐに集まりやすいのが、少人数のメリットです。以上のように総会での懇談を通じて、情報交換と親交を深めることが主な活動であった。

4.支部会員の状況
 支部会員数は昭29年当初、前記の通り17名であって、以後昭和56年頃までは16〜21名で推移してきた。このうち最多数の昭52年21名の構成をみると、北海道に2〜数年で転勤される会員が6名を数えたことは、支部として大歓迎でした。当時は、旧呼称も交え国鉄、電電公社、新日鉄、各種の官庁や企業では、北海道への人材異動が行われていたが、経済情勢など諸般の変化に伴い、同窓の異動会員が少なくなる傾向がみられるようになった。また地元の北海道電力(株)への入社も仲々続き難く、増えない要因の一つであろう。この結果、平成元年以降、同14年現在に至るまでは15名前後となっている。
 現在の内訳は大学関係3名,北海道電力関係7名,その他6名(うち医師1)。このような少人数であるので、新しく北海道に来られた方も、早く馴染んでもらえると思っている。
 会員が携っている職業は必ずしも電気関連と限らず、師尾守泰氏もその1人である。戦後、勤めていた本州の機械メーカを辞めて、やむをえず家業で且つ道内有数の薬卸業の社長(株モロオ)として北海道に戻り苦労されたが、薬品の管理・流通に情報システムを、業界に先駆けて導入し成果をあげられた。支部総会の懇親では、苦心談など異色の話を傾聴できるのが楽しみであつたが、残念ながら平成12年に亡くなられた。    

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