電気電子昭和34年卒業同期会
洛友会会報 200号


電気電子昭和34年卒業同期会

 電気電子昭和34年卒業生の卒業43周年同期会を平成14年9月7日〜8日に下諏訪温泉旅館「ぎん月」で開催した。会員70名中36名が出席した。3年前の卒業40周年記念会までは5年毎に京都と東京で交互に開催していたが、時間にゆとりのある年齢になり、今回から3年毎になった。
 今回はアンケートの結果信州ということになり、鄙びた宿場町の下諏訪温泉になった。下諏訪は甲州街道が中山道に突きあたった由緒ある宿場町であり、諏訪大社、宿場の旧本陣の他、児湯や旦過の湯といった由緒ある温泉に恵まれている。
 7日午後、参加者は到着次第三々五々町の見学に出かけた。午後6時記念写真の撮影でもって宴が始まった。全員一言づつの近況報告をしたが、早朝3時半のウォーキング、など意欲的なものが多く、今後とも質の高い人生を楽しもうという気概に溢れていた。長尾総長からは工学部の桂キャンパスへの移転など大学の現状について報告頂いた。長尾さんが同期生であるのは何かと便利である。いつ果てるともしれない宴を、いつもの通り琵琶湖就航歌で締めくくった。
 翌8日は、11人が塩嶺カントリークラブでのゴルフコンペ、22人がバスを仕立てての探勝会となった。
 ゴルフ組は11人、一足早く朝食をとり、7時半バスにて出発。塩嶺カントリークラブはコース、クラブハウス共に地元の名門コースだけに申し分なかった。信州高原の大自然に包まれ、上田治設計の美しいコースである。老境に入ってのゴルフ故に幹事はプレイを優雅に楽しむ会と思いコンペとはしなかったが、これが不評で皆スコアーを競いたかったようだ。急遽、新ペリヤで順位を出すことになった。賞品も欲しかった模様で、皆、まだまだ生々しい。
 長尾さんの始球式で始まり、[ホウ]という感嘆と[ウワー]という悲鳴の交差するプレイが続いた。6インチリプレースは認められたが、OKなしと長尾さんの厳命。最後まで妥協を許さぬ競技の姿勢かパターに絶対の自信を持っておられたか。でも長尾さんも懇親会でキャディの力不足を嘆いておられたから、結構グリーンでは苦労された様子。
 スコアーと成績表は苦労した仲間と幹事の名誉のため、幹事特権で記録に残しません。でも、80台が2人いたことは記します。 懇親会ではタップリ時間があったので、地酒も酌み交わしながら全員挨拶。[賞品をもらってないのに挨拶とは]と言いながら、皆怪気炎であった。お互いに元気を確かめあった一日でした。
 探勝会は、旅館の女将の紹介による地元のシルバーボランティアの説明員付きの、諏訪大社秋宮、春宮、万治の石仏、御柱祭の木落し坂を巡る贅沢な観光になった。その後中山道を和田峠まで上がり、本州最南に位置する高層湿原である八島湿原を訪ね、日頃の鍛錬の成果を遺憾なく発揮して標準90分の周回コースを60分で回った。
 昼食は湿原のそばにある山小屋の高原荘でフランス料理と塩尻ワインを戴いた。オーナーシェフの高橋暁氏は南極越冬隊のコックの経験がある。近年越冬隊の人気が低落しているなか、一本釣りの誘いに応じて来年の越冬隊に17年ぶりに参加することになった。現在は準備のため東京に在住しているが、特にこの日のために高原荘に帰ってこられた。食事の後、越冬の経験や苦労話に話の花が咲いた。
 塩尻ワインでよい気分になったところで再びバスに戻り、茅野にある銘酒眞澄の工場を通り過ぎ、諏訪大社本宮に回った。社殿六棟は国の重要文化財、本殿はなく背後の山がご神体。車窓に諏訪湖が見えるようになると名残惜しい旅もいよいよ終わりに近づいた。バスはその後上諏訪駅、塩嶺カントリークラブ、塩尻と回り、三年後の桂キャンパスの見学も兼ねて京都での再会を約しつつ流れ解散した。

 青木英人,川本幸雄(昭34年卒)


  ページ上部に戻る
200号目次に戻る



洛友会ホームページ