洛友会50周年記念に想う
洛友会会報 200号


洛友会50周年記念に想う

木村清治(昭22年卒)

「洛友会結成のころ」
まずは洛友会50周年、心からお祝いを申し上げたい。私は、洛友会の胎動時代ともいえる昭和22年、卒業と同時に生まれ育った京都を出て関東配電(当時。現東京電力)に入社したのであるが、会社におられた京大電気の先輩は、常任監査役の佐藤穏徳さん(明治44年卒業、今はすでに故人)ただお一人であった。あまりにも大先輩であられたことに加え私自身入社後すぐに三交代勤務の現場に配属されたこともあって、お目にかかる機会が得られないまま過ぎていたところ、一時昼間勤務になっていた昭和26年ごろのある日佐藤さんに呼ばれ、洛友会結成・東京支部発足の仕事を手伝うように言われた。大先輩の手伝いができるということもさりながら、重役に親しく話をしてもらっておおいに感激しかつ嬉しかったことを覚えている.
 手伝った内容は、結成のためのもろもろの資料の作成や整備といったことではなかったかと思う。結成活動の実際は、松尾三郎さん(昭和13年卒業、すでに故人)、筑木二郎さん(昭和14年卒業、平成15年1月1日逝去)、老田他四郎さん(昭和20年卒業)といった諸先輩が中心になって推進しておられた。間違っていればご叱正をいただきたいが、その頃すでに東京方面在住の先輩がたには洛友会と名づけた集まりもあったやに聞いた記憶もある.その洛友会かあるいは全国組織となった洛友会かは忘れたが、新入りは会費無料ということで勇んで出席したのに、前述の佐藤さんや乙葉眞一さん(大正7年卒業、今はすでに故人)といった威厳のある大先輩の前でただ畏まっているばかり。今思い返してみると、当時の大先輩と新入りの私どもとの年令差は、今の私どもと洛友会新人とのそれよりも少なかったかもしれないのにである。せっかくの同窓会も息が詰まるというので、誰いうとなく若い者でなにかやろうではないかということになり、青年部などと自称して集まり洛友会を面白くしょうと僭越なことを考えたりした。いつかの総会の懇親の部で、出席者の平均年令を当ててもらってささやかな賞品を出すなどの企画をやったところ大先輩にも結構うけて盛り上がったのも懐かしい思い出のひとつである。
 先にふれたがここにあらためて、今年早々に亡くなられた筑木二郎先輩のご冥福を謹んでお祈り申し上げる。
 
「若い人たちがもっと参加する洛友会に」

 前述のように卒業して間もないころ洛友会とのかかわりを経験した後の私は、洛友会東京支部のお手伝いをなにひとつすることなく過ぎてきた。そのなかで、洛友会と疎遠にもならず精勤とは決していえないが総会や旅行会、見学会などに随時気軽に参加できてきたのも、若かりしころの先輩との交わりがあったからではないかと思っている。
 今は、支部長、副支部長、庶務幹事、会計幹事のかたがたが、先輩・後輩の関係にあっていっしょに会の企画・運営に当たるような年次構成にすることや適当な期間で後の年次に交代していくルールが確立されているのはたいへん結構なことである。洛友会が今日までの50年を発展してくることができたのもこのルールによってつねに気鋭の役員が任に就かれ、洛友会の活性化をはかることに努力してこられことによるところ大なるものがあろう。それでも総会の時など、卒業して間もない若い世代の参加がまだまだ少ないように見うけられる。今の若い世代は洛友会に対していったいどのような意識を持っているのだろうか。この世代を集めて座談会でもやってみたら面白いかもしれないと思ったりもする。極端な言い方であるが、洛友会の永続的発展は若い世代が主体的・積極的に参加していってくれるかどうかにかかっているといってもよいのではないか。このことは洛友会の絶えざる課題であり.役員のかたがたはつねにそのため心胆を砕いておられることと拝察し、私ごときが僭越な愚見を申し上げたことをお詫びしたい.
 
「おぼろ会のこと」
 複数年次を連ねるグループ活動は、どなたの発案だったのか洛友会の活性化に寄与するすばらしいアイデアであったと思う。私ども昭和21年から24年までのグループは「おぼろ会」と称してやっている。名付け親は日下部悦二さん(昭和21年卒業)、いうまでもなく「月はおぼろに東山……」からとられた「おぼろ」である。おそらく他のグループには見られないまさに「洛友」らしい京情緒そのままの優雅な名前であることを自慢したい。幹事は年次持ち回りで、発会以来ずっと会食のみの懇親だったのがいつしか講演とか、ちょっとした見学が計画されることもあるようになった。このような複数年次を連ねるグループ活動がなんらかのうまい工夫によって異世代間にまで広げられるようになれば洛友会のさらなる活性化にもつながるのではないだろうか。

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