水の惑星・宇宙船地球号
洛友会会報 205号


水の惑星・宇宙船地球号

畚野 信義(昭和34年卒)

 この頃、地球が大分暖かくなっていることが、誰にも実感されるようになって来た。
 人間活動が原因で起こる地球環境の悪化については、オゾン層の消滅、地球温暖化、熱帯雨林の消滅、砂漠化、化学物質汚染・・・と、いろいろ挙げられているが、人類の滅亡といったグランドスラムに直接繋がる可能性が一番高いのは温暖化であると思われる。
 地球の四十数億年に及ぶ歴史の中のかなり長い期間に渉って、地球表面の温度が、ほぼ±50℃の間に保たれて来たのは、太陽表面コロナの百万度から絶対零度に至る太陽系の環境の中では奇跡に近い。地球と双子星のように生まれた金星は、今厚い炭酸ガスの雲に覆われた焦熱地獄である。何処で運命が分かれたのか。
 比較的最近でも(と言っても地球の寿命に比べてのことであるが)地球表面の炭酸ガス濃度や温度が、今よりズット高かったことは珍しくない。しかし、それらは万年のオーダーでの変動であり、多くの生物は変動する環境へ適応する進化や自然淘汰を重ねて生き延びてきた。しかし今我々の問題は、太陽系の長いタイムスケールでの環境変動のうねりの上に乗る人類活動の影響による十年単位の変動が、人類や多くの生物の生存限界をハミ出す可能性が見えてきたことなのである。
 昔々、宇宙塵の大きな渦巻きの中心に太陽が出現し、その回りの宇宙塵がいくつかの惑星に纏まって太陽系が出来た。その頃の地球は他の惑星同様、隕石が降り注ぎ、溶岩の塊のようであったと思われる。隕石に含まれる水分や沸点の低い物質は全て蒸発し、上空に厚い雲となっていた。そしてある時、地球には大雨が降って水の惑星となった。
 しばらくして、地球の海の中には原始生物が発生したが、降り注ぐ紫外線で陸上は生物が生存出来る状態ではなかった。大気中の水蒸気が太陽輻射で分解され出来たオゾンの層が紫外線を吸収するようになり、生物は陸上に進出し多様な進化を遂げた。1980年代初頭、我が国の南極観測隊のデータから所謂オゾンホールの存在と拡大が発見された。このまま行けば地球上の紫外線強度が上がり、生物に重大な影響が出ると危惧された。
 1980年代半ば、その原因物質と思われるフロンガスの規制のために、急遽開かれた一連の国際会議では、どの国も規制には大変リラクタントであった。しかしその後、フロンガスの製造・使用の制限・中止、他の物質への転換がドンドン前倒しで進んだ。これはオゾン減少のメカニズムが比較的簡単で、その因果関係が誰の目にも明確になったからである。一方温暖化の方は、長短幅広い時定数を持つ種々の自然現象や、全てが把握されてさえいない様々な原因・要因が複雑に絡み合い、メカニズムの全貌解明にはマダマダ距離がある。このため人々は危機を実感出来ず、問題は先送りされ、事態はドンドン悪化していく。しかし、私たちの本能は今既に何かを嗅ぎ付けたのではないか。
 人類滅亡の危機は核でも在ったが、核ミサイル発射のカギは超大国の一握りのエリートが持っていた。地球温暖化のカギは、人類ひとり一人の手の中にある。地球温暖化問題は、個人やグループ、企業や国のエゴをどれだけ人間の英知が制御出来るかに懸かっている。言うなれば、『エコの問題はエゴ』の問題なのである。
 リオ地球サミットの前年(1991)、私は『ジオ・カタストロフィー・・・99年後(2090年)に人類は滅亡する』という警告シナリオを作るグループに加わったことがある。東西各6人のメンバーは、私を含めた3人の宇宙科学・地球環境科学に関わる研究者以外は、経済学者、経営学者、民族学者、医者、評論家、弁護士、TVディレクター、作曲家、SF作家等いわゆる文化人であった。「人類はアト百年生き延びられるか」から議論を始めた。私達3人の意見は揃って「このままではトテモ無理」であったが、文化人達は「科学の進歩が解決してくれる」「経済や社会システムの自律機能が解決する」から「愛は地球を救う」迄理由は様々ではあるが、全て「大丈夫ダロウ」というものであった。しかし議論が進むにつれて、皆例外なく「これは無理カナ」と思うようになって行った。そして三幕(各33年)もののシナリオが出来た。

 第一幕(1992ー2024年):人々は「このままではマズイな」と思いながら、ズルズルと何もしない日が過ぎて行く。・・・これはマサに今の我々の状況ではないか。

 第二幕(2025ー2057年):イヨイヨ環境の悪化がハッキリしてきて、人々はトウトウ行動に移らざるを得なくなる。それは消費や生活の幅広い範囲にわたる自制・抑制、様々な規制の導入にならざるを得ない。社会的監視も厳しくなる。

 第三幕(2058〜2090年):このような状態が30年も続くと、経済は疲弊し、生活の質は下がり、自由が制約され、将来に夢も希望も無くなる。「俺だけならイイか」とコッソリとズルをする個人が出て来る。それがグループへ、コミュニティへ、国へと拡がり、自分達だけが生き残ろうと、世界中が血みどろの争いになり、人類は滅亡する。

 その頃、ユーゴスラビアでエゴ剥き出しの血みどろの人種・宗教争いが進行していた。
 最近の天文学(望遠鏡製作技術)の進歩により、星や銀河が、マサに天文学的スケールでドンドン新たに発見されている。それらの中で高等文明の発生する確率はかなり高いと考えられている。しかし、ふたつの高等文明が同時に存在する確率は殆んど無いと言われる。百数十億年にも近い宇宙の寿命に比べて、高等文明の存続するであろう時間が非常に短いためである。人類文明が発生して既に数千年、我々はイヨイヨ滅亡に向かって走り出したのか。人類の知性がこれを救えるのか。

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