私の宝物
洛友会会報 206号

 

私の宝物

中村智和(平5年卒)

 テーマフリーで原稿の依頼を受けてから、数日が経った。締め切りも迫っている。しかし、正直言って、何を書いていいか、全くわからなかった。仕事の合間や風呂に入りながら少し考えたが、頭の中には全くネタが浮かんでこなかった。皆が関心あるような内容で原稿を書こうと意気込んだが、結局ダメだった。だから、私の生活の中心というか、私の宝物について書くことにした。それは1歳と1ヶ月になる愛息子だ。
 結婚して3年間、意識的に子供はつくらなかった。月並みだが、別に欲しいという感情もわいてこなかったし、しばらくは夫婦二人で生活しようと思っていたからだ。
 結婚4年目に、周りからの圧力や将来を考えるとそろそろ、と思うようになった。そう思ったら、運良くすぐに授かった。実にあっけなかったというのが感想だ。親になるという実感もまるでなかった。妻のおなかが大きくなってきても、さほど変わらなかった。
 でも産着につつまれた赤ん坊を見てからは、時間とともにジワジワと感動が大きくなった。退院のころには、かわいくて、かわいくて仕方がなかった。ひとつひとつの仕草が愛くるしいのだ。最初は女の子が欲しかった。男の子でちょっとがっかりした。でも性別なんて全く関係なかった。1ヶ月、2ヶ月と過ぎ、パパ似だ、ママ似だ、いや爺ちゃん似だなんていう数秒の、そしてたわいのない論争が繰り返された。(私は自分に似ていると思っているのだが・・・)
 生後8ヶ月の今年3月、これから、歩きだしたり、言葉をしゃべり始めたりするであろう矢先、私は東京へ転勤の辞令を受けた。妻が仕事をしていることもあり、サラリーマンの宿命とあきらめ、単身赴任することになった。断腸の思いだった。
 単身赴任も半年が経った。1〜2週間毎にしか会えない現状だが、その間隔がいっそう、会ったときの喜びを大きくさせる。休日の2日は正ににつかず離れず、べったりだ。
 今は、この子が全てだ。この子なしの人生は考えられない。自分の子は本当にかわいいと思う。でも友人に写真なんかを見せても、そこまでかわいいと言ってくれない。理解できなかった。こんなにかわいいのに。でもどうやら、それは親が子を見る目のせいらしい。そうでもなければ、親は子を育てられないから。しかし、最近、世の中には幼児虐待の問題が顕在化している。原因は様々であろうが、そんな人たちはわが子を一番かわいいと思わせる「まやかしの目」を持っていないのだろう。確かに子育ては大変である。寝不足にもなるし、自分の時間も持てなくなる。でも私の場合は、そんな苦労はわが子が見せるかわいさが払拭してくれる。まやかしの目を持っているおかげであろう。
 最近、友人に言われた。親馬鹿が逆にならないようにと。最初は何のことかわからなかった。「バカ親」のことだった。気をつけよう、わが子のために。


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