会員寄稿
洛友会会報 210号


技術者の倫理

橋本道哉(昭和33年卒)

1.社会情勢

最近JCOの臨界事故から始まり、雪印、日本ハム、東京電力、三菱自動車、JR西日本の脱線事故、つい最近のアスベストや談合問題等、企業の事故、不祥事が絶えない。その結果、企業には自分の利益だけ追求するだけではなくCSR(企業の社会的責任)、コンプライアンス、企業倫理が強く求められるようになってきた。 一方、独立して働く技術者や企業内の技術者個人にも、技術力だけではなく技術者の倫理が求められるようになったが、日本の実情は欧米に比べて遥かに遅れている。アメリカの大学の工学部では技術者の倫理は必修科目であるのに、日本の大学では選択科目にすらなっていない。私たち日本技術士会の翻訳グループの有志は、平成10年9月に、アメリカの大学で参考書として使用され、非常に評判のよいハリス著の『科学技術者の倫理』を丸善から翻訳出版した。日本ではこの種の書籍は初めてであり、先導的な役割を果たして来たと思われる。ちょうどその頃、JCOの臨界事故を手始めに、技術者の倫理の欠如に起因する不祥事が続発し、技術者の倫理の必要性が認識され始めていた。機械学会を始め学会、協会、企業等の団体でも技術者の倫理規程を制定し始めた。

2.技術者倫理の必要性

技術が道具だけであった過去においては、それは目的を他者に仰げばよかった。しかし今技術その物が支配するという環境と化し、巨大な能力と化し、さらに全人類の行為そのものとなり、自ら目的をもたないエネルギーを秘めている制御ができない巨大な乗物となっている。技術は今や自らが何をも生み出し、何をも破壊しうるような強大な力そのものと化している。これをいかなる目的に使うべきであるか。これによっていかなる目的を実現すべきであるか。つまり人類がこの巨大な能力を秘めた技術の目的を選定すべき時に至っている。今までに手段的道具としての技術の完全化と機能性の向上しか狙わなかった技術は自ら目的を問わなくてはならなくなっている。ここにおいて善悪を真剣に問われなくてはならない。すなわち強大化された技術の存在が自ら倫理を課題とせざるをえなくなっている。技術の発展は人類に大変多くの幸せをもたらした反面、戦争や交通災害等で多くの不幸をもたらしている。例えば、20世紀中の戦争や交通災害による不慮の死を遂げた人は、人類の有史以来19世紀までの不慮の死者の合計を遥かに上回っている。
我々を取り巻く全ての生活環境が科学技術の影響を大きく受け、いわゆる技術に支配された世界となっている。 このような環境において技術者は、自らの専門職としての技術力はもちろんのこと、社益や公益に対する責任を活動の前提とする旨の「高い職業倫理」が求められている。まさに技術と倫理が車の両輪のごとく要求されているのである。


3.倫理規程の必要性

欧米では聖職者、医師、法律家に代表されるような高度の専門知識と技術を持つプロフェッション(民衆に対する指導的な立場を意味する専門職)の存在を認め育ててきた。専門職の一員になるためには、長期に亘る専門的教育と厳しい訓練を受け、客観的な方法で自らの能力を証明しなければならない。ひとたび、専門職として認知されると他の職業では得られないような高い報酬と特権が与えられる。しかし他の人にはできない、かつ社会や個人の健康や安全、福利の維持と向上に不可欠なサービスを責任を持って行わなければならないのである。すなわち、高度技術社会における技術者のプロフェッショナルとしての責任とモラール・オートノミ(道徳的自律)が課せられるのである。この互恵的な関係を維持するために専門職は厳格な倫理規範を構築する。現在では技術者も専門職として倫理規範を持って上記のようなノブレス・オブリージュに応えなければならない環境になっている。この「高い職業倫理」を文書化して規定化したものが「技術者倫理規程」であり、一般の道徳倫理とはまったく異なるものである。
技術者の社会に対する影響力にかんがみ、各人の採る行動は倫理的でなければならないが、そのためにはまず、倫理的な行為と非倫理的な行為の判別ができなければならない。その判別は一般常識あるいは良識により可能な場合もあるが、総じて、合法と非合法の判別よりも遥かに難しい。判別思考の出発点として技術者倫理規程に基づくべきであろう。


4.技術者倫理規程

色々な団体で独自の倫理規程を制定しているが、その中で最も汎用性が高いものとしては、全米プロフェッショナル・エンジニア協会(NSPE)で1996年に制定された技術者倫理規程であろう。その前文と基本規範だけ紹介しておく。
NSPE倫理規定 1996年版
前文
技術業は、重要で学術的な専門職業である。この専門職業の一員として、技術者は、正直および誠実の最高の基準を示すものと期待されている。技術業は、すべての人にとって、生活の質に直接的かつ重大な影響力がある。したがって、技術者が提供するサービスは、正直、不偏性、公平性、および衡平が必要であり、公衆の健康、安全および福利の保護に捧げられなければならない。技術者は、最高の倫理的行動原理の遵守を要求する専門職業の行動基準のもとに、それを遂行しなければならない。
I.基本的規範
技術者が自らの専門職業義務の遂行において、しなければならないことは以下の通りである。
1.公衆の安全、健康、および福利を最優先にする。
2.自らの有能の領域においてのみ、サービスを遂行する。
3.客観的かつ真実に即した方法においてのみ、公的な言明を行う。
4.それぞれの雇用者または依頼人のために、誠実な代理人または受託者として行為する。
5.欺瞞的行為を回避する。
6.自らが名誉を重んじ、責任を持ち、倫理的に、そして適法に身を処することにより、専門職業の名誉、名声、および有用性を高めるように行動する。
U.実務の原則
―――――――――以下略す―――――――――――――
一番目の規定によれば、技術者は『公衆の安全、健康、および福利を最優先する』義務がある。『最優先』とはいえ、文字通りの最優先というわけにはいかない。というのは、企業や行政機関などの組織に属して働く技術者の場合、4番目の規定によって『雇用者』のために『誠実な代理人』として行為するという、雇用者に対する義務がある。この二つの義務が両立すればよいが、そうではなくて、公衆に対して義務を負う技術者と、雇用者に対して義務を負う被用者としての立場とが食い違うことがあり、『利害関係の相反』が発生する。 例えば、勤務先の工場が排水中に有害物質を排出しており、その有効な除去は現在の技術と工場の採算性の範囲では不可能である場合は、2つの要求の間で、技術者の採るべき対策に『利害関係の相反』が生じる。


5.倫理性の判定

倫理的と非倫理的の判定についてはいくらかの手法があるが、適切な解決方法に至るのは容易ではなく、結局は自分の技術的感性よらざるを得ない。日頃から事例を幅広く勉強して、思考の訓練と感性を磨くことが必要である。
ここで具体的な手法を2、3紹介したい。
第一は『黄金率テスト』というもので『他人からしてもらいたいと思うことを、人にもしてやりなさい。』というキリスト教や儒教の教えに基づくものである。第二は、『自滅テスト』と呼ばれるもので、その行為を誰もが真似した場合(普遍化という)を想定し、その結果によって判断するものである。例えば、道を歩きながら空缶を他人の塀の上に置いていくのは、居住者の気持ちを考えれば倫理的でないことがわかる。また、列車待ちの列に力づくで割り込むのは、結局は全員が困ることになるので、その行為は倫理的でないことがわかる。 最後に、利害関係の相反の解決するに際して、いくつかの選択肢がある場合には、『線引き法』が中心的な解決法になる。
正しいことと不正なことが画然と二分されて明瞭に見分けられるなら、何が不正かがはっきりわかるから、人々は容易に不正を回避できる。しかし実際には、多くの場合、複数の選択肢がある。その選択肢の中で、不正と正しいことをスペクトルの両極に置き、その間に疑わしさの濃い方から薄い方へ連続的に並べていく。そうすると、スペクトルのどこかに、してよいことと、してはいけないことを分ける線を引くことができる。


6.技術者倫理教育の方法

実践的倫理能力を育成するための教育の方法として、最も有効な手法は、倫理問題を含んだ現実的な事例を具体的に提示し、受講者に倫理的ジレンマを仮想体験してもらい、その解決方法を考えてもらう、いわゆる事例研究である。
技術者倫理教育で取上げる事例には、大きく分けて、(1)実際に起こった現実の事例、(2)仮想的な事例、(3)受講者が自分で創作する事例、の3種類がある。


7.提言

最近では倫理感の欠如が起因する死傷事故や不祥事が減少するどころか、増える傾向にあり、連日のごとく、メディアやマスコミを賑わせている。さらに環境保全問題や遺伝子の問題も加わり、技術者の倫理の重要性が大きくなりつつある。
大学では、有名校ほど技術者倫理の教育体制の整備が遅れているとの報告が来ているが、技術者倫理は官学産の全体に亘る大きな課題であり、早急な技術者倫理の推進体制の整備が望まれる。

                  

  ページ上部に戻る
210号目次に戻る



洛友会ホームページ