巻頭言
洛友会会報 211号


百年の節目に思う

洛友会副会長
三木弼一(昭和37年卒)

京都大学工学部電気工学科を1962(昭和37)年に卒業して、松下電器に就職した。以来、約半世紀を期せずして、家電製品とその技術開発に携わることになってしまった。一つの分野にのみ携わり、また一つの会社に長年勤めると、その企業文化にどっぷり浸かってしまい、自分を客観的に見つめる機会が少ない。企業生活の晩年は、技術担当以外に環境問題や、知的財産権、あるいは品質問題の担当も経験し、少しは技術一筋から脱却したように見えても、ものの見方に偏りがあるのではないか、少なくともその背景や歴史を再考しなければならないのではないかと自問自答している昨今である。

松下電器の百年

  大阪の町に、初めて電車が、築港―花園橋間を走ったのは、1903(明治36)年と記録されている。その後1909(明治42)年までに市内の主要路線が開通した。漸く洋風建築が立ち並んだ大通りを沢山の乗客を乗せて走る電車を見て、松下幸之助は「これからは電気の時代や」と決心し、自転車屋での丁稚奉公を止め、大阪電灯(恐らく関西電力の前身であろう)に職を求めたようである。およそ100年前の話である。その後、独立し、起業して作った松下電器は、国力の伸展に従うように驚異的な発展を続ける。しかしながら、昭和が終り、創業者の永眠及びバブルの崩壊とともに、成長の歩みが鈍ってしまう。 この1989(昭和64、平成1)年が、日本の製造業の分水嶺であったと多くの識者が語っている。所謂新国際化問題である。今や松下電器は関係会社を入れると、従業員総数は、30万人を越え、そのうちの海外従業員数は、およそ3分の2の20万人以上となっている。海外と国内比率は、製造部門がもっとも多く、次いで販売であるが、技術はまだ70%が日本人特に関西地区の従業員で占められている。その比率の是非はともかく、質の向上と新しい国際化が強く求められている。なぜなら、多くの日本のエクセレントカンパニーは、その収益の70%を海外から揚げながら、各地で納税することにより、地域社会にも国家にも、貢献をしているからである。 技術立社、科学技術立国が掛け声のみで無ければ、現在のようなGDPの2倍以上ともいう途方も無い国および地方自治体の借財は、企業収益の向上によって、楽々と返済できるに違いない。企業人の奮起が望まれる。

IECの百年

  昨年から、その業務内容をよく精査せず、国際電気標準会議(IEC)の日本代表評議員を引き受けてしまった。評議会(ISOでは理事会、IECでは評議会と訳す)は、参加国65カ国のうち、選挙で10カ国、無選挙で5カ国、計15カ国の代表で構成され、IEC全体の政策審議をおこなう。日本は無選挙国(いわゆる常任評議員国)であるから、筆者は日本政府の指名により、評議員となったものである。IECは、ISO(国際標準化機構)やITU(国際電気通信連合)と並ぶ、技術標準化の機関であるが、そのルーツは最も古く、 1906(明治39)年のロンドン国際電気会議で発足している。 今年で、丁度創設100周年を迎える、その記念総会は当初ロンドンで開催の予定であった。しかし、イギリス代表が辞退し、急遽ベルリンで開催されることになった。この第1回IECロンドン会議には、非公式ではあるが、藤岡市助さんという東京電気(東芝の前身)の創設者が参加された。1910(明治43)年、電気学会を中心として、政府援助を仰がず、産業界、学界が寄付をして費用を捻出し、正式に加入している。1881(明治14)年、最初の国際電気博覧会で、エジソンの白熱電灯照明システムが展示されたのが、電気実用化の嚆矢である。石炭による第1次産業革命には著しく遅れたものの、明治に入って、大阪に電車を走らせた日本人は、幸いにして所謂世界の電気産業革命には、遅れを取っていない。 マックスウェルのイギリスに替わり、ドイツや日本などが、IEC牽引役として期待されている。

京都大学電気工学科100周年

  京都大学(1897、明治30年創立)も、電気工学科(1898、明治31年創立)も、数年前に創立100周年を迎えたことは、記憶に新しい。明治以来、洛友会の諸先輩が活躍されたことは言うに及ばないが、総じて言うならば、アメリカと並んで、日本の工業教育が、すばらしい成果をあげたことは間違いないであろう。1時はその優れた製造力を基にして、2%の人口の日本人が、世界のGDPの20%を占有してしまったのであるから。
しかしながら、今や100年目にして、大きな転換期を迎えたようである。  去年暮、関西の国公立及び私立の工学部長を主要会員とする関西工学教育協会の懇話会が大阪大学で開かれた。その会長職に推され、研究発表を聞く機会があった。日本の工学教育に様々な問題があるが、小学校、中学校、高等学校の理科教育の現状の報告を聞いて、改めてその貧しさに唖然とし、これは大変なことであると思った。  洛友会という、一度は席を同じくし、また共通の文化で育った人々が、工学教育、幼児教育、国際化問題など、老い若きを問わず、議論百出して、新しい日本社会のありかたを語ることが出来る同窓会であれば、すばらしいと、新年を迎えて思う次第である。(松下電器技術特別顧問)

  ページ上部に戻る
211号目次に戻る



洛友会ホームページ