会員寄稿(1)
洛友会会報 215号


留学体験記

岩見 紀征(平成8年修士終了・中国支部)

 留学先の米国から帰国後、一年以上が過ぎ、今ではまるで遠い国の昔話のように感じられるようになったが、この場を借りて、その思い出を語らせていただきたい。
 ふと会社が募集する数ヶ月程度の海外技術研修の案内が目に留まり応募してみた。一度海外に長期滞在してみたい(しかも会社の費用で)、というのが動機のひとつだった。そして、その選考面接で思いもかけずMBA(経営学修士)の方を打診され、理系一筋だった自分が一転して経営学というものを学ぶことになった。
 最初はMBAの選考方法が良く分かっていなかったが、次第にその大変さが分かり青ざめることとなった。選抜過程で求められるTOEFL、GMATという英語のテストは,TOEICとは比較にならない難しさで、いい点数がなかなか出せなかった。東京でのMBA合同説明会に参加した時、他の参加者の流暢な英語に圧倒された。帰国子女や仕事での海外駐在経験者を多くいる中、どう勝負すればいいのか途方にくれた。更に、論文や面接で自分をアピールしなければならなかった。聞かれることは入社試験のようなものだったが、自分をどうアピールすればいいのか、日々仕事から帰っては夜遅くまでネタ出しに明け暮れた。結果として3連敗後の4連勝とまずまずの結果に終わったが、精神的にかなり追い込まれた時期だった。結局,合格した4校の中から,米国のパデュー大学を選ぶことにした。
 現地でも英語に苦労する毎日が続いた。“現場”の英語は日本人向けに手加減された英語とは比較にならない。野球に例えれば、TOEICは130km台のまっすぐで慣れないと速く感じる。しかし、現地では160kmのストレートが来るか思えば、見たこともない変化球(訛りやスラングなど)が飛んでくる。日本の英語教育がいかに的をはずしているのか身を持って感じる毎日だった。
 観光地では日本人の英語が下手なのは有名だが、自分が住んだような田舎では英語が聞き取れないということが想像できないらしい。わざとゆっくり下手そうに話しかけても、構わず高速英語を浴びせてきた。アパート探し、ライフライン契約、口座開設、自動車購入といった生活セットアップに奔走したときにも、習慣の違いや米国の事務のいい加減さもあいまって苦労の連続だった。家族も含め米国の医者にも何度かお世話になったし、娘がホテルで怪我をして救急隊員のお世話になったこともあった。交通違反をした時やPCの盗難にあった時には警察のお世話にもなった。そうした場面では、英語が上手、下手に関係なく、とにかく自分の思いをきちんと伝えられなければならない。言った者勝ちの国なので、言い訳をしたら交通違反を見逃してくれたこともある。このような経験をするうちに、自然と英語力が向上し度胸も付いたと思う。
 米国での自分は文字通り外国人で,観光地以外の日本人が珍しい場所ではじろじろと見られた。移民の国である米国は懐が深く、我々外国人を温かく迎えてはくれる。しかし日本人は米国では少数派であり、日本で思われているほど米国社会に受け入れられているわけではない。スタジアムで松井秀喜やイチローはかなり野次られていた。どの国においてもだが、結局は自国民ほどには丁重に扱ってはもらえない。表面上とのフレンドリーさと、心の奥にある根深い差別意識。よく言われる米国人の二面性も感じることはあった。大学生時代、時々弱音を漏らしていた友人の留学生のことを不意に思い出し、彼も苦労をしていたんだなと思った。
 そのような時もあったが、楽しい思い出の方がはるかに多い。なにより、米国で仲良くなった各国の友人達は一生ものの宝であり、今でも電子メールで時々やり取りをしている。特にMBAの同級生は、同じ時期に、同じ場所で、同じ目標に向かって苦労した仲であり、国という枠を超えた連帯意識がある。人種のるつぼにいると、文化の違いを受け入れられるようになる。ちなみに、お隣韓国は日本では近くて遠い国と言われるが、考え方などに共通点が多く驚いた。欧米人との差に比べると韓国との差など誤差みたいなものだった。何故これほどまで考え方が近いのに、ここまでいがみ合ってしまうのか不思議な気もした。
 このように、米国暮らしは心底楽しかったが、留学の本題であるMBAコースは熾烈を極めた。出来るはずもない量の負荷をかけることで能力を鍛えるという思想であり、ふらふらになりながら勉強に明け暮れた。何回徹夜をして朝日を拝んだか分からない。本棚に並ぶ当時の分厚い教科書を見るたび、よく切り抜けたものだなと自分でも感心する。
 米国人は学校でもビジネスの場でも議論中心と聞いていたが、MBAはまさに議論の場だった。プレゼンが終わって質問時間になっても手は挙がらず、座長が桜の質問をするのが日本ではよくある風景だが、米国ではびっくりするくらい手が上がる。お互いに感情的になることなく率直に意見をぶつけ合い、そしてお互いに気付かなかったアイデアを生み出していく。口で言えば簡単だが、文化も違う相手とは簡単には行かないこともあり、最初はとても困惑したが,思いもよらないアイデアが出たときは嬉しかった。
 MBAで財務、戦略など様々なことを学ぶと言っても、そのまま実社会で活かせるわけではない。小手先の数字いじりに走りがちなMBA卒の若者には米国でも批判が多い。そうした中、あえて一番得られるものを挙げるとすると、このように、プレッシャーに晒され、議論に明け暮れることで磨かれる精神的な強さではないかと思う。
 今年度の秋には、研究室の後輩の沖野裕丈君が留学先のスイスから土産話を持ってきてくれるはずだった。しかし帰国を1ヶ月後に控え、交通事故で帰らぬ人となってしまった。最後に会ったのは自分の帰国を祝ってくれた会であり、その時に見た彼の笑顔が目に焼きついている。彼の帰国報告を聞きたかったと残念でならないし、自分の留学経験を語ることにためらいも感じることもある。しかし、生きている者が悲しみ続けることは彼の本望ではないはずであり、彼のためにも自分の海外経験を活かしていくよう、頑張っていこうと思う。




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