会員寄稿(1)
洛友会会報 216号


散歩

井上 茂(昭48年卒・東北支部)

 趣味の欄に「散歩」と「読書」と書く度に、無趣味の言い換えかと思ったりするが、長続きしているのはこれらのみなのも事実である。ここでは私にとっての散歩について書いてみたい。
 京都に進学し東北に就職して以降、戻ることのない故郷となってしまったが、私は、東京郊外の練馬で育った。東京オリンピック前後から、どんどんと宅地開発が郊外に広がってしまったが、昭和30年代の練馬は、国木田独歩の小説「武蔵野」までとはいかないものの、武蔵野の面影をまだまだ色濃く残していた。広がる畑と点在する藁葺屋根の農家、楢などの落葉林が醸し出す、のどかな田園風景で、情緒溢れる雰囲気を持っていた。そんな武蔵野の中を歩くのが好きだった。石神井池、三宝寺池、都民農園などが周辺にあったが、目的地のみならず、周辺の道々がのどかで気持ちのよい散歩コースであった。生来、地理好きでもあり、いろいろな道々を楽しみながら歩くことが私の趣味となっている。
 学生時代には、京都や奈良を他人よりは歩いたつもりであるが、所詮は貧乏学生の身で遠出はままならず、今から思えばもっと多く廻っておけばよかったという悔いもある。また、教養部の藤岡謙二郎先生の歴史地理クラブに入り、輪読などをとおし歴史的景観の美の楽しみを教えてもらった。 入学の春の桜満開の折に東山山麓を歩き、まだ名前も知らなかった哲学の道に行き当たった時の感動は今も頭に残っている。市内では塔頭の多い妙心寺や大徳寺の境内が好きだった。奈良では、奈良公園周辺の寺社を巡る道、飛鳥路、山辺の道などを歩いた。歴史豊かな場の雰囲気に浸たると、あたかも時代を溯ったような不思議な気持ちになる。
 私の散歩の仕方を紹介する。自宅近傍を歩くのは、時間が少ない場合や、暑くて夕方しか歩けない夏場に多い。時間が取れる休日は車で目的地近傍まで移動し、そこを起点として歩く。最近は公園など公共設備が整備され駐車場が多くあるし、役場の駐車場も解放されている場合が多く助かる。また、郊外の散策には大型スーパーの駐車場を借りることもあるが、この場合は、駐車料金の代わりとして必ず相応の買い物するようにしている。初めて訪れる地では、その地の顔としてまず役場庁舎を訪れその周辺の市街地を見ることとしている。散歩は、特に目的がなくてもよく、歩く時間を楽しむことかと思う。私は、ブラブラ、キョロキョロと沿道の庶物を楽しみながらゆっくりと歩いている。ウォーキングとなると、背筋を伸ばし前を見据え、腕を直角に曲げ、大きく振りながら早歩きするのが正式らしい。運動目的にはよいだろうが、歩きを楽しむことが出来なくなりそうで私は好まない。昔は国土地理院の地図が頼りであったが、最近は細密で見やすい地図が市販されている。知らない土地を歩く場合に便利であるのは勿論、面白そうな道を選んだり、また、地図と現場を照合し納得しながら歩くのも楽しいものである。市街地や住宅街には街毎の風情が、寺社や史跡には心が引きしまるものが、田園にはのどかさが、野山には開放感があり、それぞれが楽しみである。ただし昨今、男一人でキョロキョロしていると、怪しまれる恐れもあり、大概は妻を連れだって歩いている。
 現在住んでいる宮城県内では、仙台市内の広瀬川河畔が、郊外では北上川から阿武隈川の太平洋岸にかけ江戸、明治期に掘られた貞山堀沿いが、気に入っている。近ごろはどこでも地域興しが盛んで、各市町村がそれぞれの顔を作っており、市町村巡りも面白い。周辺の山形、岩手、秋田、福島などの県際にも足を伸ばしているが、中でも山形県の市町村が面白い。最近では高畠町内を半日かけて歩いた。如何せん日帰りであると、往復に時間を食ってしまい、実際に歩く時間が削られてしまうのが難である。滅多にないが、遠出して宿泊する時はビジネスホテルを使う。
 我々、団塊の世代はもうすぐ、会社社会の表舞台から引っ込む時が来る。スケールの小さな夢で恥ずかしいが、自由に時間が取れるようになれば、国内のいろいろな場所の歩きを楽しめればと思っている。それには、観光地を巡る旅行ではなく、その地に室を借りて滞在、生活し、そこを拠点として歩きを楽しみたいと考えている。京都の大路小路を散歩できるよう、京都に拠点を構えてみるのが先ずは手始めか。そこから、奈良、和歌山にも足を伸ばし、学生時代に叶えることの出来なかった歴史豊かな箇所の歩きを楽しみたい。次は関東、瀬戸内、九州、四国、どこを拠点としようかなど想いは広がる。足が丈夫でないと夢は叶わない。暫くは、東北地域の散歩で足を鍛えておきたい。



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