会員寄稿(1)
洛友会会報 218号


銅線から光ファイバへ

岩噌 弘三(昭28年旧卒)

 私は40年あまり前の昭和40年から2年間、カンボジアで技術協力に従事しました。一般にあまり知られていない技術について、記録に残して頂きたいと思い、貴重な紙面をお借りすることにしました。
 いま世界遺産として賑わっているアンコールワットのあるシムリャップと首都プノンペンとの間は、約320kmで、東京と名古屋間の距離にほぼ相当します。この間の市外通話は、昔日本でも見られた電柱の腕木に架設された2本の銅線のみに頼っていました。その間、増幅などは一切されない単純な設備でした。ある時、この間で電話をして驚きました。聞き返す必要の無い良好な状態で話ができたのです。市外裸線は一定距離ごとに電線の位置を反転する交叉によって漏話を防止してある上に、妨害の少ない農村地帯を経由したことも、好都合であったのでしょう。当時のカンボジア国内の市外回線は、全て、このような裸線でした。その2年前に勤務していた群馬県内の都市と町村との間の市外回線も、まだ同様な裸線に依存していました。
 最近は光ファイバが広く採用され、インターネットでは国際間に及ぶ通信でも通信料が請求されません。その秘密の一端を明らかにしたいと思います。
国連の専門機関である国際電気通信連合(ITU)は、毎年、電気通信に関する有用な膨大な統計を発表してきましたが、民営化や競争の導入で、通信事業体がデータを出さなくなり、残念ながら最新の資料がなく、1994年に発表されたデータに依存します。
 1992年に開通した大西洋横断光海底ケーブルは、回線容量が音声換算で113,400回線であり、創設費は3億ドルです。20年間を60%の能率で使用するとすれば、1時間当たり3USセントです。データ圧縮技術を使用すれば、さらに安価になると報じています。これには、保守運用のコストが含まれませんが、その後の光伝送技術の進歩による大容量化などを考慮すれば、インターネットが距離に無関係な料金で使用できる裏が見えるようにも思います。





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