会員寄稿(2)
洛友会会報 223号


弓との付合い

山地 教文(平11年卒・四国支部)

 「趣味は?」と聞かれると、「弓道かな。」と私は答える。すると、話し相手は「えっ、きゅうどう?」と不意をつかれたような反応をして、必ずと言っていいほど「弓道って…」と言いながら、弓を引く真似をする。「弓道」という言葉を会話に出した時、こんなやりとりをすることが多い。
 私が弓道を始めたのは高校の時で、弓道と関わるようになって、かれこれ18年が経つ。とは言いつつ、就職してからは、1年のうち1回しか弓を引かなかった年もあり、まじめに練習していたのは、18年のうち実質半分にも満たないくらいか。
 大学に在学中は体育会弓道部に所属していた。弓道場は薬学部の西側、川端近衛の南東側敷地内にある。射場は最大12人同時に弓を引ける広さがあり、大きめの弓道場だった。また、弓道場内の四畳半の部屋には、コタツやテレビ、ビデオがあって、そこで休憩をしたり、ビデオに撮った自分の射形のチェックをしたりした。この部屋は狭かったが、時には部員同士が弓道について熱く語り合う場所となり、そして時には飲み会の場所となるなど非常に使い勝手のよい部屋であった。
 弓道場には布団も完備されており、飲み会で酔いつぶれて朝を迎えたことも幾度かあった。さすがに、朝目覚めた時、二日酔いで、体中が落書きだらけ(しかも油性マジック)、おまけに頭がカピカピになっているのに気づいた時は、なんとも言いようもないむなしい気持ちになったものだ。それも今となってはよい思い出である。
 24時間いつでも練習できる環境であったこともあり、講義が終わると弓道場に行って練習をし、夕食を食べてまた練習をするという毎日であった。日付が変わっても練習していたこともあった。おかげで、主将を経験させてもらい、関西1部リーグで私立大学の強豪校を相手にまずまずの成績を残すこともでき、幸せな弓道部生活を過ごすことができた。今思えば、これまでの18年間の弓道経験の中で、在学中の4年間が一番弓道のことを考え、弓道のことで悩み、喜び、泣いた時であった。
 こんな熱い時間をともに過ごした弓道場は一昨年にお役御免となり、今は同じ敷地内に新しい弓道場が建てられている。その年の夏に久しぶりに京都へ行った時に新しい道場を訪ねてみたが、立派な道場だった。自分達が過ごした弓道場が取り壊されると聞いた時は、弓道部の一つの時代が終わったように感じ、少し寂しい思いがあった。さらに、新しい道場で顔も名前も知らない現役部員が練習しているのを見ていると、自分達がいた弓道部とは全く別のもののように感じ、さらに寂しい思いが深まった。しかし、数多くの先輩方から受け継がれてきたものが、途中で少しずつ変化をしながらも彼らに受け継がれ、その過程に自分も関わっていたことを考えると、弓道部を取り巻く環境が変わっただけだと思えるようになり、寂しい思いも薄れてきた。そして、自分達と同じように彼等の手によって弓道部の歴史が積み上げられているのだと思った。今は、自分が弓道部にいた時の思い出を重ねながら、彼らの活躍を祈っている。
 さて、社会人になってからの弓道との関わりはというと、仕事の関係上、学生時代のように練習時間を作ることは難しく、冒頭でも書いた通りあまり練習していない。当然、下手くそになって、成績はガタ落ちで、弓を引くモチベーションは上がらなかった。幸い、会社の弓道部に所属し、最低でも年1回の射会に参加することで、弓道との関わりを完全に断つことなく、細々とではあるが続けてこられた。
 そうこうしているうちに最近では、下手くそでも、成績が悪くても、たまに練習に行って弓を引くことを楽しむことができるようになってきた。弓を引く目的が、試合で結果を出すことから純粋に弓道を楽しむことに変わったのだと思う。また、弓道を通して人付き合いが増え、これもまた弓を引く楽しみとなった。こうして、練習に行くペースも上がり、最近では最低でも月に1回は練習するようになっている。できることなら、もう少し練習に行きたいが…
 まあでも、この分だとこれから先、弓が引けなくなるまでは弓との付き合いが続くことになりそうだ。そう考えると、「趣味は弓道」だとはっきり言える。でも、やっぱり試合では結果を出したいなぁ。


  ページ上部に戻る
223号目次に戻る
 



洛友会ホームページ