会員寄稿(2)
洛友会会報 224号

 
先を見据えて

朝倉 茂(平12年卒・北陸支部)

 先を見据えて物事を進めることが大事であるとよく言われる。社会に出て早7年、先を見据えることが如何に大事か、またそれと同時に如何に難しいかを幾度となく感じてきた。入社以来これまで、とにかく工程に乗せるため必死に考えを廻らし、周囲を巻き込んで大騒ぎし、時には涙したり、眠れない日々を過ごしながらも何とか完了にまでこぎつける、というようなパターンをここ数年繰り返していた。そこには「あの時気付いていれば」とか「なぜあんなふうにできなかったのか」などと思うような失敗や後悔が常に付いてまわった。それでも何回かそういったことを経験すると、少々の知恵もついて、小賢しくも、相手の言いそうなことを事前に考えながら話をすることも覚え、先を見据えて取り組めるようにもなった。
 こうして慣れたころにはだいたい職場異動がある。そして仕事内容もガラリと変わって、前述と同じような失敗と後悔がまた付いてまわる。現在もこれまでの仕事との違いに翻弄される毎日で、先を見る余裕など当分もてそうもない日々である。
 先が見えると余裕が生まれ、精神的に楽になる。手を抜いてもいいところ、詰めないといけないところなど加減もわかる。そういったことは、これまでの経験に照らし合わせることでできることだと思うが、そもそも学生時代に自分は何を見据えて現在に至ったのか振り返ってみたい。
 学部生だった約10年前、当時は携帯電話やインターネットが急速に普及し始めたころで、そういった技術がもてはやされたときだった。合言葉のようにITを叫んでいるそんな世の中の風潮に流されてか、自分も通信工学や情報システムといった分野の技術者を志し、難解な電気工学や電気機器の勉強を敬遠しがちだった。今となっては恥ずかしい話だが、学部三回生になるまで電気機器とは、一般家電製品のことだと思っていたし、三相交流の基本についても全く理解していなかった。その程度の自分が、まさかその数年後に、よりによってその敬遠しがちな分野を主とした会社に就職し、しかもそれまで目に留まることもなかった地上数十メートルの鉄塔上で作業をしたり、その建設に携わることになるとは思ってもみなかった。もっと言えば、正月に急に呼び出されて道なき雪山を夜通し這いずりまわることも、その後のカップラーメンがあんなに身に染みておいしいものだということも、自在に(?)福井弁を操れるようになっていることも、全く思ってもみなかった。そして、そんなことを在学時の研究室の先生や学生時代の友人との話のネタにしたりして楽しんでいる自分も、もちろん思ってもみなかった。
 このように学生時代に思い描いていた自分とは全く違う現在の自分がある。その時々で判断し、もちろんそこには先を見据えた選択があって、その結果が現在である。中には損する選択もあったかもしれないが、現在という結果を悲観している訳でもなく、今の状況の中で精一杯のことをやっている自負はある。
 先のことはちょっとしたことで簡単に変わってしまうものだと思う。遠い先ばかり見ても目の前のことをうまく片付けることができなければ、本末転倒もいいところである。遠くばかりを見て、足元の石ころに躓いていては元も子もない。先を見据えることはもちろん大事で、できるに越したことはないのだが、先の見えることばかりでも面白みがない。むしろ思ってもみないことがあって、新しい発見があるからこそ楽しいと思ったりするのではないだろうか。
 そんなことを考えながらも、早く“先を見据えた仕事”ができるようになりたいと切に思う。


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