巻頭言

洛友会会報 225号


「宇宙開発のやり方」の効能

東京支部長 
間宮 馨(昭42年卒)


 平成19年7月15日付の本誌に、「内から見た宇宙」を寄稿した。
 その中で、「宇宙開発行政をやりたくて昭和44年に科学技術庁に入った」と書いた。
 幸い、昭和46年から53年まで、2年間の海外留学を挟んで、7年間、宇宙開発行政に携わることが出来た。ただ、その期間が、余りに長かったため「宇宙人」と呼ばれ、「軌道」から離脱出来ないのではないかとも言われた。
 その間に、宇宙開発委員会の事務局に居て、長期ビジョンの検討や宇宙政策大綱の策定に従事したり、宇宙開発事業団の監督課に居て、予算要求を行ったり企業の現場を訪ねたりして宇宙開発全体に深く関与すると共に、宇宙開発のやり方を体得した。
 それは、(1)ある特定の時点で実現したい状態を規定する(目標設定)、(2)それを実現する手段を明確にする(要素分解)、(3)目標時点までにすべての手段が完成するように線表を引く(逆線表)、(4)線表通りに実施する(計画管理)と言うものである。これは一見当たり前のようであるが、この通り実行するのは、極めて難しい。
 「目標」とは、最終受益者を含む多くの人が、是非実現したい、実現して欲しいと思う「夢」か「理想」に限りなく近いものでなくてはならず、しかも、誰の目にも明らかで、実現したかどうか明確に判定できるものでなくてはならない。更に、実現の時期を明示したものでなくてはならない。このような目標を生み出すのは、至難の業である。この点で、ノーベル賞を受賞された利根川先生の次の言葉は、示唆に富んでいる。「自分は、研究テーマを選ぶに当たっては、その研究が成功した時に社会への影響が最大になるものを採用する。その際重要なのは、社会への影響をどれ位明確にイメージ出来るかだ。」基礎研究者の中には、「目標が設定出来ないのが基礎研究だ」と言う人がいるが、私はそう思わない。基礎研究において、最も重要なのが、仮説の検証であり、どのような仮説を検証するのかが、最良の目標になると思っている。「目標」が設定された後も、これを実現するための「要素分解」と「逆線表作り」が、膨大な調査と試行錯誤を要するので、大変である。かくして出来上がった「計画」をいざ実施しようとすると、失敗の恐怖と闘いながら一歩を踏み出す勇気と最後まであきらめずにやり抜く強い意志が求められる。
 このやり方で成功した典型的な例が、アポロ計画である。ケネディー大統領が、「1960年代末までに月に人を送る」と言う「目標」を設定し、これを達成するために、NASAが、全長100メートルを超えるサターンVロケットや月着陸船を考案し、逆線表に乗せ、幾多の困難を乗り越えて、目標時点までに全ての開発を完了させた。その総決算として、人類が月面に降り立ち、無事に地球へ帰還出来たのである。
 このことから得られる教訓は、目標達成にとって必要十分な計画に基づき、今日やるべきことを今日やって行けば、月にだって行けると言うことである。
 スポーツの世界で、これを実践したと思われるのがスピード・スケートの清水選手である。
 長野オリンピックで優勝した直後に「『目標』とは、『達成されるべき結果』である」と述べた言葉が、それを雄弁に物語っている。
 私は、昭和53年以降、宇宙を離れて、科学博、ライフサイエンス、放射線医学、原子力、基礎研究、海洋と様々な分野を担当させられたが、その都度このやり方で仕事をしてきた。
 特に、最も重要で、最も難しい「目標設定」においては、行政の最終受益者たる国民を満足させる成果が期待出来るかと言うことに意を用いた。
 放射線医学総合研究所で、年間700人を治療出来る世界初の「重粒子線がん治療装置」を開発するプロジェクトを立ち上げた時は、政府の「がん10ヶ年戦略」が終わるまでに、装置の臨床試行に入ることを目標としたところ、その通り達成された。
 防災研究所の世界最大の大型三次元振動施設の計画に当たっては、将来の耐震性能診断用ソフトの開発のためのデータを得るため、最も大きな被害をもたらすと想定された4階建てマンションを建てて壊せる振動台を関西大震災の10年後までに稼働させることを目標としたところ、その通り実現された。
 理化学研究所に、3年間で、優秀なポスドクを正規研究者の2割位入れることを目標とする「基礎科学特別研究制度」を創設した時は、ノーベル賞を受賞された福井先生の「優秀な人を指導してはいけない」と言う言葉と、利根川先生の「若い人に雑務をさせてはいけない」と言う言葉に忠実に従った。その結果、小柴委員長に選ばれたポスドクは、家族がいてもアルバイトをする必要のない位十分な年俸と独自の研究費を貰いながら、独立して自分のテーマに集中することが出来、優れた成果を挙げている。ポスドクの数も、10年後には、正規研究者の5割を越えるまでに増加し、一大戦力となっている。
 「脳研究20ヶ年戦略」を策定した時は、多くの人が切望する「意識の解明」、「脳の老化の制御」、「知的生活支援ロボットの開発」等を20年後の目標とし、その実現のため、逆線表を引くとともに、初期の3年間で、理化学研究所に五百人規模の研究所を新設した。この4月からの新所長は、利根川先生であるが、当時米国におられた先生を相手に、「可能な限り早期に所長に成って頂くこと」を目標として、交渉を開始したのは、13年前のことであり、やっと実現して感無量である。戦略全体の達成度の評価は、戦略策定後10年目に行われ、「概ね、線表通りに研究が進展した」との評価結果が得られている。
 海洋センターを海洋の分野で世界一の研究開発機関にすることを目標とした「10ヶ年計画」では、原子力船「むつ」の大型ブイ敷設船への改造や世界最高性能の深海掘削船の建造を盛り込んだところ、その通り実現した。その結果、予算も10年後には3倍以上となり、当時世界一と思われたフランスの海洋研究所を凌ぐまでに成長した。
 第二期科学技術基本計画の策定に当たっては、「5年間で政府の支出を24兆」と並んで、「大学施設の狭隘化の解消」、「卓越した研究拠点の整備」、「先端医療に対応した大学付属病院の整備」等の目標を掲げた。財政悪化もあって、「24兆」は、実現できなかったが、施設整備関係の目標は、ほぼ達成された。実は、施設整備については、第一期計画でも目標に掲げられたが、具体的な実施計画がなかったために、実現出来なかった苦い経験がある。そこで、第二期を策定するに当たっては、この反省を踏まえて、当時の文部省に「施設整備緊急5ヶ年計画」を作ってもらった。幸い、毎年かなりの額の補正予算が付き、それが5ヶ年計画に予め盛られた施設に優先的に配分されたため、目標が達成された次第である。
 直近のささやかな例としては、昨年6月、洛友会東京支部長になった時、支部の運営にこのやり方を適用してみた。まず、役員全員で集まって、一年間にやるべき行事として、2回の若手勉強会を含む過去最多の9つのイベントを決め、各イベントを間隔のバランスが最適となる時期に分散配置し、担当者を決めて、一切変更せず、その通り実行した。実行に当たっては、各担当が、持分のイベントが期日通りに実現出来るよう、かなり前広に準備を進め、それを全役員が、常時モニターし、サポートする仕組みとした。その結果、全てのイベントが、計画通り実現した。
 このように、これまでのところ、性格の異なる様々な仕事に「宇宙開発のやり方」を適用して、ほぼ満足すべき成果が得られていることから、このやり方には、かなり普遍性があるのではないかと思っている。
 中堅・若手の会員諸氏には、是非試して頂きたいと思う次第である。


《若田宇宙飛行士と》

 


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