同窓会だより
洛友会会報 226号

 
獅子の会(昭和44年卒)卒業40周年同窓会

 我々昭和44年に電気・電子・電Uを卒業した164名の同窓会は、44(しし)を捩って「獅子の会」という。今年は卒業後丁度40年目の節目の年を迎えることになった。年齢は全員還暦を少し越えたところで、62〜64歳といったところ(浪人とか、留年とか、海外無銭旅行による休学とか、それぞれに脛に傷の事情があり年齢に数歳のバラツキがある)。

どこの同窓会も同じで、人は60歳が近くなるあたりから、だんだん人恋しくなってくるもので、この会も最近では毎年東京と京都で交互に開催しており、今年は京都の番となった。開催日は真夏の太陽が降り注ぐ7月18日(土)の午後。集合場所は、2年前が吉田キャンパスの時計台下ホールだったので、今回は桂キャンパスの桂モニュメント(時計塔)の下。14名が参加。まず集合した皆さんは、大型スクリーンに写し出された「歓迎:獅子の会の皆様」「祝:卒業40周年記念」のディスプレイを見て感激。初めに、事務管理棟の3階にある大広間に案内され、工学研究科電気工学専攻の教授をしている同期の大澤君から桂キャンパス全体の説明を受け、その後、工学研究科電気系の研究室(超高圧実験施設など)を見学。歴代の電気系教室名誉教授の先生方の写真を前にして、当時単位を取るのに四苦八苦したためか、全員一同に一瞬緊張が走る。ここでは、長尾先生(元総長)は当時講師をしておられたこと、松本先生(現総長)も当時確か助手をしておられたことなど、恩師の先生方の思い出話に花が咲いた。

今回は40周年の節目の年でもあり、懇親会場は温泉で盛大にやろうとなり、有馬、白浜、城崎あたりの温泉も考えたが、結局、桂キャンパスに近い洛西ニュータウンのホテル京都エミナース(立派な天然温泉が出る)での開催となった。参加者は23名。1次会では、宇治で生存圏研究所の教授をしている同期の橋本君の司会で、1人1人が近況についてしゃべった。1人数分の持ち時間が10数分にもなり、その間、東京から駆けつけてくれた幹事の浅谷君が1人1人のスナップ写真を撮ってくれるなど、大いに盛り上がった。昔は天下国家や国の将来を論じ合った我々も、この年齢になると、仕事の話もそこそこに、悠々自適の生活の話、孫が可愛くて仕方ない話などのほか、病気の話、奥さんとの仲がしっくり行かない話、親の介護の話、老後の生き甲斐の話、子供がなかなか結婚しない話など冴えない話も多く、話のレパートリーは多岐に亘った。

 2次会はカラオケ。「琵琶湖周航」、「知床旅情」、「北上夜曲」に始まり、「お座敷小唄」まで、古い歌がドンドン出る。極めつきは、幹事が真面目な橋本/大澤の両君らしく、最後は「京都大学学歌」斉唱で締めくくり。さすがにカラオケのメニューにないため全員でアカペラ。「九重に〜〜、花ぞ匂える〜〜、千年の〜〜」が洛西の夜空に谺したのでした。
 次の日は、朝湯と朝食の後、ゴルフに行く人(4人)、観光地に行く人、吉田界隈に行く人、さらには、昔の下宿先を訪ね、当時憧れた近所のメッチェン(40年も経っており、もうお婆ちゃん?)に会いに行く人まで、40年前の思い出を胸に、それぞれ三々五々に散会した。

 今回の出席者は、敬称略で、浅尾、浅谷、阿部、伊藤(高明)、上田(稔)、大澤、越智、瀬川、関本、瀬戸、田中(俊秀)、佃井、仲村(康之亮)、橋本、細田、牧野(義)、真木、益尾、松木、松島、松本、森(宣彦)、吉田(昌春) の計23名。下に掲げた集合写真(23名中3名は温泉入浴中)の通り、外観(髪の毛と体型)は40年前とすっかり変わってしまったが、中味は全然変わっていない。いや、成長していないと言うべきか。
   (昭45年卒 益尾和彦 記)

 



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